『悲報・鮎川誠さん死去』シーナ&ロケッツのギタリスト・鮎川誠さん、すい臓がんで死去 昨年5月余命宣告も公表せずライブ続けた


鮎川 (あゆかわ まこと、1948年5月2日 - 2023年1月29日)は、日本のギタリスト、作曲家、俳優。ロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー、ボーカル・ギタリスト。 1970年代、博多を中心に勃興しためんたいロックの草分けの一人である。1970年、ブルースロック・バンド、…
48キロバイト (6,747 語) - 2023年1月30日 (月) 17:37



ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のリーダーでギタリストの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが1月29日午前5時47分、すい臓がんのため、亡くなった。74歳だった。バンドの公式ツイッターで発表された。鮎川さんは昨年5月に医師から余命5か月の宣告を受けたが「みんなに心配をかけたくない」として病気を公表せず、ライブ活動を続けていた。通夜、葬儀・告別式は、15年に死去した妻でボーカルのシーナさん(本名・鮎川悦子、享年61)と同じ場所で同じロック葬で2月に執り行う。


 朴とつとした博多弁に黒いサングラス。抜群の存在感で1966年の初ステージから57年間、ノンストップでロックンロールに生きた鮎川さんが逝った。

 すい臓がんが見つかったのは昨年5月。医師から「余命5か月ほど」という宣告を受けたが、「みんなに心配をかけたくない」と強く希望。周囲に病気を公表せず、治療を受けながら全国ツアーを行った。昨年11月には45周年記念ライブを開催。爆音でエレキギターをかき鳴らし、病を感じさせない姿を披露。ライブ本数はここ数年で最多だった。昨年12月19日に行われた三宅伸治&the spoonfulのライブ(京都磔磔)にゲスト出演したのが、最後のステージとなった。

 昨年末に激しい腹痛によって一時入院。毎年参加していた大みそかの「ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル」は出演を取りやめていた。亡くなるまでの1か月間は自宅に戻り、3人の娘たちが交代で看病に当たった。ライブのセットリストや記念ツアーの計画、未発表楽曲の作品化を考えるなど、亡くなる直前まで復帰を目指していたが、最期はまな娘3人にみとられ、天国へと旅立った。

 長女でモデルの鮎川陽子さんはツイッターに「ぜったい良くなるって信じていたのに、回復の願いが叶(かな)わず、悲しくてしかたがありません。お父さんは世界一かっこいいロッカーでした。応援してくださった皆様、ほんとうに感謝しています」とつづった。

 鮎川さんは1970年に福岡を代表するバンド「サンハウス」のリードギタリストとして活動した。78年に「シーナ&ロケッツ」を結成。鮎川さんのギターサウンドと、シーナさんのパワフルな歌声、ミニスカや網タイツの過激なファッションで注目を集め、「レモンティー」「ユー・メイ・ドリーム」などがヒット。ARB、ルースターズらと共に福岡発の「めんたいロック」の代表的バンドになった。

 「自分が死ぬまでの間に、1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」。15年にシーナさんが子宮頸がんで急逝した後もバンドを継続。21年から三女のLUCYをメインボーカルに迎え、オリジナルメンバーの奈良敏博(71)、川嶋一秀(67)と47都道府県ツアーを行ってきた。スマートなルックスでモデルや俳優としても活躍し、CMや映画で強い印象を残した。

Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/60162abf5e1eefc51b2370ee7dd9b97db9e4d466

【『悲報・鮎川誠さん死去』シーナ&ロケッツのギタリスト・鮎川誠さん、すい臓がんで死去 昨年5月余命宣告も公表せずライブ続けた】の続きを読む