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    タグ:役者


    『山田優』スラリ生足ショットに「女性、妻、母としてカッコイイ」と憧れの声!娘との親子ショットも話題


    山田 (やまだ ゆう、1984年7月5日 - )は、日本のファッションモデル、女優。本名は小栗 (おぐり ゆう、旧姓:山田)。 沖縄県国頭郡恩納村出身。那覇市立識名小学校、那覇市立松城中学校、日本芸術高等学園卒業。沖縄アクターズスクール出身(在籍時はB.B…
    31キロバイト (3,389 語) - 2022年12月8日 (木) 14:30



     俳優の小栗旬(39)の妻でモデルの山田優(38)が20日に自身のインスタグラムを更新し、スラリと伸びた生足ショットを公開した。

    【写真】山田優、娘と初親子ショット「遺伝子ですね」「横顔旦那さんに似てます」

     今年も残り少なくなり、山田は「みなさーん師走のバタバタ 疲れが出ないように寝る前にちょっとの時間ゆっくり過ごして下さいね」とフォロワーの体調を気遣うコメント。「私のお風呂上がりのルーティーン」として「足が疲れてると寝る時に気にならのでパッパッ!とオイルで保湿した後にむくみ専用のクリームでマッサージしてから寝ています」」と美容法を紹介。スラッとした生足を披露し、マッサージする画像などもアップした。

     この投稿には「憧れです」「美脚」「女性、妻、母としてカッコイイ!!」などの声が寄せられている。

     昨年9月には、アパレルブランド「GAP」のモデルとして娘と親子初共演し、話題になった。

    【『山田優』スラリ生足ショットに「女性、妻、母としてカッコイイ」と憧れの声!娘との親子ショットも話題】の続きを読む


    『米倉涼子』47歳「過去の栄光と闘うことは、もうやめました」


    米倉 涼子(よねくら りょうこ、1975年8月1日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。神奈川県横浜市出身。27年間所属したオスカープロモーションを退社し、2020年4月から個人事務所「Desafio」に所属。松田秀知の作品に携わることが多かった。 横浜市立南希望が丘中学校を経て、神奈川県立旭高等学校卒業。…
    47キロバイト (5,638 語) - 2022年11月3日 (木) 22:27



    挑戦も失敗をも恐れずにキャリアを重ね、第一線で活躍する俳優の米倉涼子さん。美しく、自由に、そしてダイナミックに飛躍する姿から、私たちは勇気と英気をもらい続けてきました。そんな米倉さんの中にも弱い自分がいて、葛藤と困難をどう考え、どう乗り越えてきたのか。ありのまま、まっすぐに、語ってくれました。

    【俳優・米倉涼子さん】前向きな表情が満載!特別カット集

    乗り越えたい!という強い思いが自分を支えてくれる
    引用元:美ST

    お話を伺ったのは……俳優・米倉涼子さん

    最近まで、台風の目の中に身を置き、そこから抜け出せない状態でした。誰かが慰めてくれても、反抗的な気持ちになったり、逆に悲しくなったり、応援してほしいのに辛く感じたり、なのにどうして共感してくれないんだろうとか、いろんな想いが巡りに巡っちゃって。もう何を言われても、身体的にも肉体的にもほんとに辛くて苦しくて悲しくて。完全に私、沼にはまっていました。

    そのままでいいなら、それを選んで生きていくのなら、案外その方が楽でストレスもなくなるのかもしれない。でもね、ストレスをなくしたら逆に私は終わる。そう気づいたとき、絶対にこの沼から這い出してやる、って小さな出口を見つけました。自分自身で。今も沼の途中ですが、自分で解決するしかないと悟ったときから、自分を支えられるようになりました。

    《Profile》
    ’75年神奈川県出身。代表作にドラマ「交渉人~THE NEGOTIATOR~」「リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~」「ドクターX~外科医・大門未知子~」など多数。Amazonオリジナル主演ドラマ『エンジェルフライト』が’23年春に配信予定。Netflixドラマ『新聞記者』配信中。ファンクラブサイト「よねさんち」

    辛い腰痛も、いつか「あんな時期もあったね」と笑い飛ばせる日がくると信じて
    5歳からクラシックバレエをやっていたせいか、腰痛や肉離れが原因で、小学校1年生のときから接骨院に通い、マッサージを受けたり遠赤外線治療をしていました。以来、腰痛歴は長いんです。それが今年の夏前頃から突如悪化し、今も冷えた鉄の棒が腰に入っているような感覚です。とにかく冷たくて、温めるとラクになれるけれど、体が曲がらないので湯船に浸かれず、レンジで温めるハーブ入りパットなどを常に腰に当てるようにしています。椅子に座りづらく、大好きなハイヒールなんてもってのほか。だからOOFOSのリカバリーサンダルが定番です。

    鍼、お灸、整体、トリートメント……できることは全部しました。精神的にも辛くなって、更年期なのか、精神的な病気なのか、それとも持病の再発なのか病名もはっきりしません。更年期なら更年期、うつならうつって言いたいくらい(笑)。

    以前から起床後すぐのサプリが習慣ですが、小さなお猪口に入れていたサプリが今は倍くらいになって、吐き気を感じるほどの量を飲んでいます。健康体でなくなって元気が出なくなるとこんなにも大変なんだって思い知らされました。そうすると母の顔が浮かんで、母ってすごい、同じ経験したかな、更年期っていつだったかな、って改めて感謝の気持ちが湧くようになりました。母は私が出演する番組を見て、「あの言葉使いは良くないわよ」とアドバイスをくれる程度で、ほとんど何も言わないのですが、最近は「お願いだから、具合が悪い中で仕事をしないで」と言われます。

    人との交流も若い頃より明らかに増えて、元気をもらったり、学んだり。同世代の女性と話す機会も増えました。周りには私に気を使わず、「その考えはおかしい」「それは違う」と自分の意見としてはっきり言ってくださる人間味のある方が多いので、ラッキーだと思います。「大丈夫ですよ」と軽く言われるのがいちばん嫌だもん。

    一時期、自分のすべてを仕事に集中させ、人も仕事もいい出会いがあることに幸せを感じていたけど、今はそれよりも、自分を見つめ直すステージに入ってきているのかなって思います。これからどんな辛さと付き合っていくのか、さらに不安も増え、そうそう簡単に人生を楽しく過ごせないぞ、ということもわかってきました。

    自分の心構えとして、もうちょっとクッション性を高める必要があることも感じています。肌もね、先日後輩と一緒に撮った写真を見たら、私も年齢を重ねたなぁと思いました。以前は超ズボラだったのでオールインワンで済ませ、シートパックもドラマのメーク時にする程度でしたが、最近は可愛いパッケージに惹かれて家でもするようになりました。

    でも「もっとケアしないと」と思う反面、70代の鍼の先生が超美肌でお元気で、「何をしているんですか?」と聞くと、石鹸1つで体も髪も洗い、化粧水もつけないけれど、エアロビが趣味だとおっしゃるんです。動きを止めないことも大事なのかな。そうやってあれこれ考えすぎると、年を取るのって面倒臭いってつい思っちゃう。とはいえ、老化は生きている限り仕方がない。でも病気をしたからこそ、こういう思いを無駄にしてはいけないと思っています。生きるのは大変だけど、「あんな時期もあったね」と笑い飛ばせる日が来ることも、私、信じられるから。


    Yahoo!ニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/194c1ad798cd454390268304003b1c84f7c183c2

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    『松任谷由実』ニューアルバムをリリース! 一青窈「こうした時代だからこそ、直接のつながりをとても愛おしく思うし、大事にしたい」


    夫はアレンジャー・松任谷正隆で、彼女の音楽プロデューサーを務める。 立教女学院高等学校、多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。 雲母社取締役、苗場プリンスホテル名誉総支配人(期間限定)。1972年、荒井由実の名でEMIミュージック・ジャパンからデビューし、1976年の結婚以降は松任谷由実
    152キロバイト (3,951 語) - 2022年12月13日 (火) 14:10



    2002年のデビュー曲「もらい泣き」が、ロングヒットとなり一躍人気アーティストの仲間入りを果たした一青窈。デビュー20周年を迎えたその日、10月30日に、東京・中野サンプラザホールでデビュー前から音楽的な支えとなってきた音楽プロデューサーの武部聡志をバンドマスターに、旧知のミュージシャンらと記念コンサートを開催した。
    この20年の間には、世代を問わずいまなお愛され歌い継がれる「ハナミズキ」(2004年)や、SOIL&“PIMP”SESSIONSとコラボしたカバー曲「他人の関係」(2014年)など、数々のヒット曲を放ってきた。
    2020年には、松任谷由実が曲を書きおろした「かたつむり」をリリース。今夏は、デビュー年が同じでプライベートでも交流のある森山直太朗が曲を付けた「耳をすます」など、コンスタントに新曲も制作している。これらの楽曲をはじめ、シンガーソングライターのCharaやBONNIE PINK、ゴスペラーズの酒井雄二といったアーティストとコラボレーションした楽曲を詰め込んだアルバム「一青尽図」をリリースする。一青のエモーショナルで美しい言葉にメロディーで寄り添いながら、各々のアーティストらしさもしっかりとにじみ出ている楽曲は、コラボという名の薫り高い果実のようだ。基本的に歌詞を先に書き、メロディーはその歌詞に合わせて制作する、いわゆる詞先で作られるのだという。

    【写真を見る】松任谷由実と作った「かたつむり」の制作話では驚きのエピソードも

    ■ここで頼んでおかないと、という気持ちに自然となりました

    「詞は、たいてい曲を作ってほしいとお願いする人をイメージしながら書きます。もともとプライベートで交流のあるCharaさんもそうで、『ライブの後半で身体を動かせるような、1980年代のシンディーローパーみたいな曲にしてください』とお願いしまいした。ご本人が“Theキュート”な方ですから、そうした曲が似合うなぁと思って。Charaさんから、『窈ちゃんらしいこぶしが回せるようなところも入れて作ったよ』と言っていただいたように、一青窈×Charaさん風味の面白いコラボになったと思います。デモ音源を聴かせていただいたら、当然ながらCharaさんの声で仮歌が入っていて。あの独特のウィスパーボイスは魅力的ですから、自分が歌うときに引っ張られないように意識しました。
    友達のBONNIE PINKに曲を作ってもらいたくて、2篇ほど詞を送ったんですが待てど暮らせど返事がない。それで、どうしたのと尋ねたら、もう1つ書いてもらえないかと言われました。それで書いたのが『カノン』です。この詞を渡したら、すぐに曲が帰ってきて、彼女らしいおしゃれな曲に仕上がりました。

    同じ年にデビューした(森山)直太朗もそうですが、親しくなるとかえって『曲を作って』と言い出しにくいものなんです。ただ、今なら20周年にかこつけて作ってもらえるかなと(笑)。これまでは、この先もずっとお互い音楽を続けていくのだからと、どこか先延ばしにしているところがあったと思います。でも、新型コロナウイルスの感染爆発などがあり、人は死ぬという事実をすごく突き付けられた。ここで頼んでおかないと、という気持ちに自然となりましたね。今回、頼むことができて本当によかったです」

    ■(森山)直太朗の名前が挙がったので直接電話をして依頼をしました

    友達だから逆に頼みにくいという気持ちは、多くの人も共感しうる感覚だろう。その一方で、瞬間的に高まった感情を言葉に替えてぶつけるという衝動は、多感な10代のころならまだしも誰もが持ち続けられるものではない。だが、一青はこれまで一貫して、自分の心が動いたことに対して、無防備なくらいに素直に従い、詩をつづってきた。そうしたアーティスティックな感性を互いに認め合える仲間と本作を制作できたことは、20年の積み重ねがもたらした宝物に違いない。

    「私は、いい詩が書けたと思うと誰かに『曲を作って』と、唐突に詞を送ってしまう癖があるんです。送られた方は大変ですよね(苦笑)。たとえば、『耳をすます』は、SNSで若い方の悲報に触れ、どうしようもなく心がざわついて、その夜に泣きながら書いたもの。武部さんに『この詞を曲にしたいのですが、誰がいいと思いますか?』と相談したら、直太朗の名が挙がったので、私から直接電話をかけて依頼しました。
    直太朗とは1年に1度電話するかどうかという感じなのですが、電話のたびに私をからかおうと変なことばかり言ってくるんです。『もしかして、これから俺に告白しようとしてる?』とか、『やっと俺の魅力に気づいた?』とか(笑)。それを無視して、曲をお願いしたいんだけど…と話を切り出したら、今度は『そっか。じゃあ、俺のことが好きだったみたいな歌詞でもいいよ』みたいなことを言い出して(笑)。私には、後にも先にもそんな気持ちを持ったことは1ミリもないから書けないよと丁重にお断りしました(笑)」

    ■(松任谷)由実さんはわずか3時間で「できたよ」。そして『いま、この場でメロディーを歌うから覚えて』と


    一方で、日本のポップミュージック・シーンをけん引してきた先人たちとのコラボレーションは、スリリングで刺激的なものだったようだ。松任谷由実と作った「かたつむり」の制作エピソードは、聞いているだけでもかなりドラマチックだ。音楽という共通項があるからこそ叶う、ジェネレーションや関係性を越えた真剣勝負をかいま見せてくれる。

    「2年前、由実さんに作曲をお願いした『かたつむり』は、誹謗中傷に深く傷けられた人を知り、心を痛めていたときに湧き上がった思いを詞に綴ったものです。書きあげた詞をメッセージアプリで由実さんに送ると、わずか3時間後くらいに『できたよ』と返事がきたんです。それで、武部さんと一緒にスタジオに入ったのですが、由実さんから譜面を渡され、
    『いま、この場でメロディーを歌うから覚えて』と。いきなり覚えてと言われて、内心ものすごく面喰らいましたよ。嘘でしょって。師匠と弟子ではありませんが、由実さんに5回以上は歌っていただくわけにいかないなと思い、冷や汗をかきながら必死に覚えました。由実さんが私のために作ってくださった、その気持ちに私も精一杯応えたいと思い集中して頑張りました。いざとなると、覚えられるものですね(笑)。
    後日、アレンジする段になり、ミュージシャンがスタジオに集められましたが、今度は、思いもよらないアレンジ対決がはじまって…。当初、由実さんは吉田拓郎さんなどを彷彿とさせるような、フォーキーなアレンジをイメージしていたようでした。私はもっとカントリーっぽい、冒頭のギターがもっと力強いアレンジを考えていました。スタジオで、ミュージシャンの皆さんに演奏していただき、聴き比べた後、由実さんは『私の負けね。あなたの言う通りだわ』と言ってくださいました。負けたというのは由実さんの優しさだと思いますが、そのおかげでコーラスでも参加してくださいました。本当にすばらしい先輩なんです」

    ■そうした刺さる言葉を折々に伝えてくださることを含め、いちいちカッコいいんです
    武部氏を介して古くから松任谷と親交がある一青。日本のポップミュージック・シーンに、その名を刻み続けるカリスマから、言葉だけでなく立ち居振る舞いからも多くを吸収し学んできたという。

    「ありがたいことに、由実さんの苗場ライブを何度か拝見していますが、ライブ後の関係者打ち上げでいつも驚かされっぱなしです。内輪の打ち上げとなると、時間は真夜中を過ぎるのですが、いつも完璧なファッション、コーディネートで現れるんです。そのオーラを放つ佇まいで『ライブ、どうだった』って尋ねられると、自分の服装が恥ずかしくて。せめて靴とバッグの色をそろえてくれば良かったと、後悔したこともありました(笑)。そんな圧倒的な存在なのに、さりげなく『これ、聴くといいわよ』とレアなCDをポンと手渡しでくださったりする。そういうことを、さらりとされる方なんです。
    いい曲を創るために、人知れずご自分を犠牲にすることもあるのかなと思ったり。それでもなお、いい曲を創り続けていくんだという、すごみみたいなものも感じました。いちいちカッコいいんです。先輩の背中を見ていると20周年なんてまだまだひよこだなって思いますね」

    ■うかつな言葉は書けないなという気持ちが強いからかもしれません

    活発にクリエイターや音楽家と交流し、制作もコンスタントに行ってきた一青。にも関わらず、なぜ前作より8年も要したのだろうか。

    「アルバムは、『さあ、今年はアルバムを作るぞ』と計画的に制作するというより、曲がたまったからアルバムになるかなという感覚で作っているので、結果的に時間がかかるんです。ただ、かつてスティーヴィー・ワンダー(米ブラックミュージック界のレジェンド)が7年ぶりにアルバムを出したときに、『すごい時間をかけるんだな』と驚いた私が、それ以上かかってしまったので、確かに8年は長過ぎますね(笑)。
    理由の1つは、子どもを育てていたからですが、いまは保育園や学校に通うようになりましたから、その間に制作を進められるようになりました。それ以上に、由実さんをはじめ、すばらしい人たちから有形無形問わずたくさんのものをいただいているので、うかつな言葉は書けないなという気持ちが強いからかもしれませんね」

    旧知のアーティストに曲を依頼するのと同時に、初めて関わる音楽家とも積極的にコラボレーションを行った本作。その1つは、ジャズシーンで活躍する俊英で、オーケストラでタクトを振ることもある、米・ニューヨーク在住の挾間美帆と創り上げた「i²」だ。

    「作曲をお願いした挾間さんは、共通の友人を介して知り合いました。昔、音楽雑誌のライターをしていた友人が、あるとき『コロナワクチンの推奨ソングを作りませんか』と、提案してくれたのがはじまりです。作り始めた当初は、私自身ワクチンの知識が不十分だったこともあり少し迷いもありましたが、すぐにワクチン接種が進み、歌は不要に。でも、せっかくつながったご縁を大事にしたかったので、ワクチンとは全く関係ない“恋愛ソング”を、憧れを込めて作ることに(笑)。厄介な恋愛をしている友人がいるので、その人の気持ちを書いてみたいなと思いました。それに、今は特に、誰かに会いたいと思う気持ちが切実なのかなとも思いますし、純粋に会いたいという気持ちは尊いですからね。
    挾間さんとは、本来なら対面して曲作りをしたかったのですが、このご時勢でニューヨークから来ていただくことも難しく、結局は1度もお会いすることなく曲は完成しました。ジャズシーンで活躍する方なので、音階が独特で、言葉に対して細かく譜面を描く印象を受けました。歌う際も、普段と違う難しさを感じましたね。ただ、もともと予定調和が苦手で、どうなるかよく分からない方が面白い。わけも分からないまま来た球を打つみたいな、何がどう出るか分からないことにワクワクするんです(笑)」

    ■目の前に観客がたった1人でもいれば歌い続ける自信はあります

    知人からの頼みを快く引き受けたかと思えば、自分から動いて思いがけない依頼を引き寄せることもある。それが、10月公開の映画「役者として生きる~無名塾第31期生の4人」の主題歌「あうん」だ。ことのはじまりは、一青は無名塾で塾生となり、演技を学びたかったという気持ちからだったという。

    「これまでに演技のお仕事もやってきたので、技術的に演技をもっと磨きたいと思っていました。それで、本を読んだり映画を観たりしましたが、それでは上達できないんですよね。ならばと、ワークショップに参加したのですが、課題に取り組もうとすると相手の方が『なぜ、自分の相手が一青窈なの?』と驚いてしまい、どうにもうまくいかなくて。それで、プロに演技指導をしていただけるところを探したのですが、なかなか見つからず、思い余って無名塾に入りたいと思いお手紙を書いて送りました。アンジェラ・アキさんが自分の土台をもっと高めたいと留学したように、私は無名塾で演技を学びたかったんです。
    ですが、無名塾の決まり事では私は年齢的に受け入れられないようで、お断りの返事をいただきました。と、同時に、映画主題歌の歌詞を書きませんかと(笑)。やっぱり私は歌の人なんだなと思いましたね」

    こんなふうに出会いや縁を大切にしながら、マイペースに、自分の心に素直に、ひたむきな歌を届けてきた。活動は、音楽に限らず演技や詩集など多岐に渡るが、彼女にとっては20年前もいまも、根っこにある思いは変わらないのだという。

    「私の歌人生は、ストリートライブから始まっていて、デビュー前からずっとライブで直接歌を届けることを大事にしています。それはこの先も変わりませんね。このアルバムに収録されている『6分』という曲や、デビュー曲『もらい泣き』や『ハナミズキ』を作ったマシコタツロウとは、長年一緒にライブをやってきた間柄。バンドメンバーよりもお客さんが少ない時代を共に経験してきました。それでも、目の前に観客がたった1人でもいれば歌い続ける自信はあります。
    その分、テレビなどでの歌唱は年々難しさを感じますね。かつての生放送はまだ、どんな人たちが見てくれているかある程度想像ができました。ただ、いまはテレビだけでなくネット配信などもありますし、誰がいつ、どこで見るか選択肢が多すぎて想像もつきません。どこに向けて、どう歌えばいいか戸惑うことも少なくないのです。

    こうした時代だからこそ、直接のつながりをとても愛おしく思うし、大事にしたいです。手書きのファンレターの文面に、『歌を聴いて生きようと思いました』と書かれていたりすると、歌ってきてよかったと心から思います。また、デビュー前から行っている病院でのライブで、清掃員の方などから『この仕事していてよかった』と言われた瞬間も嬉しかったですね。由実さんや森山良子さんのような、素敵な人と出逢えることも大きな励みです。そうしたリアルな感じをこれからも大事にしたいですね」

    Yahoo!ニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/e43fe41bc536c392ad98a3c52e64e608125725bf

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    『芸能』松山ケンイチ、東京から離れて気づいたもの 役者そして父親としての学び


    松山 ケンイチ(まつやま ケンイチ、1985年3月5日 - )は日本の俳優。本名、松山 研一(読み同じ)。愛称は、松ケン。 ホリプロ所属。青森県むつ市出身。青森県立大湊高等学校 → 東京都立代々木高等学校卒業。 妻は女優の小雪。 2001年 HORIPRO×Boon×PARCOの共同企画・ホリプロ男性オーディション「New
    50キロバイト (6,075 語) - 2022年7月18日 (月) 13:36



    近年、東京と田舎それぞれに自宅を持つ、二拠点生活を実践している俳優・松山ケンイチ。荻上直子監督のオリジナル脚本作品による映画『川っぺりムコリッタ』で主演を務めた松山が、人との関わりを通じて変化していく主人公の青年を演じて感じたことや、本作にも生かされたという東京を離れての生活などについて語った。

    映画『川っぺりムコリッタ』予告編【動画】

     『かもめ食堂』などで知られる荻上監督の書き下ろし長編小説を自身のメガホンで映画化した『川っぺりムコリッタ』。さまざまな事情を抱えた住人たちが暮らす北陸の田舎町にある古アパート「ハイツムコリッタ」で、人と人とのつながりにある幸せと面白みが描かれる。できるだけ人と関わらずに生きたいと思い、小さな街にある塩辛工場で働くことにした青年・山田(松山)は、風呂上がりに飲む冷えた牛乳をささやかな楽しみにする静かな毎日を送る。ところが、隣人の島田(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと部屋に上がりこんできたことを機に友情のような感情が芽生え、ほかの住人とも触れ合うようになる。

     本作の脚本から惚れ込んだという松山。「荻上さんの作品って、ちょっとしたファンタジーの要素はあるのですが、基本の部分ではしっかりと現実を描いてる。みんなが見落としているような部分をきちんと描いてくれているところがすごく好きなんです」と説明。最初は孤独を感じながらも、次第に人と人とのぬくもりに幸せを見出すようになる山田を演じるにあたり、「誰だって役に立つとか立たないとか言う以前に、やはり存在していること自体が意味がある。それが僕がこの作品の脚本から感じ取ったものだし、そうした”見落としてしまいがちなこと”を大事にしながら、僕のキャラクターを演じました」と振り返る。

    (C) 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

     撮影は2020年9月から10月にかけて実施。松山にとっては、ちょうどコロナ禍による自粛期間が明けた後、最初の映画出演作が本作だったという。「この作品をやるまでは正直、東京で仕事をしていたわけではなく、あまりコロナとかは関係ない暮らしを送っていました。その時はずっと畑作業をしていましたし、子どもたちに田舎暮らしをどうやって学ばせようか、そこでどうやって遊ばせようか、ということを考えていました。ある意味、育児をする時間でもあったし、自分自身の勉強のための時間でもあったんです」

     松山が演じる山田は、人との関わりを避けてひっそりと生きていきたいと思っていたが、隣に住む島田(ムロ)はズカズカと、図々しくも山田の生活圏内に入り込んでいく。だがいつしか、庭で野菜を育てていた島田と一緒になって、山田も畑作業を行うようになる。

    Yahoo!ニュース
    https://news.yahoo.co.jp/articles/ef9d4b7ebc5f4cf33934c649c10aec11191dfeba

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