『鎌倉殿の13人』【深掘り「鎌倉殿の13人」】畠山重忠の謀反の計画は、牧の方のでっち上げだった。その真相を探る
大河ドラマ > 鎌倉殿の13人 『鎌倉殿の13人』(かまくらどのの13にん)は、2022年(令和4年)1月9日から放送されているNHK大河ドラマ第61作。脚本は大河ドラマ3回目となる三谷幸喜。 平安末から鎌倉前期を舞台に、歴史書『吾妻鏡』をベースとした源平合戦と鎌倉幕府が誕生する過程で繰り広げられる権力の 236キロバイト (39,595 語) - 2022年9月12日 (月) 13:23 |
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、畠山重忠と北条一族との対立が先鋭化した。重忠はいかにして討伐の対象となったのか、その経緯を詳しく掘り下げてみよう。
■険悪になった畠山重忠と北条時政の関係
建仁3年(1203)の比企の乱で比企能員ら比企一族が滅亡すると、北条時政は武蔵国に食指を伸ばした。これに強く反発したのは、武蔵国に基盤を持つ畠山重忠だった。重忠の妻は時政の娘だったが、両者の溝は深まる一方だった。
元久元年(1204)1月になると、京都にも重忠と時政の関係の悪化が伝わっていた。2人は合戦となり、大江広元が殺害されたという誤報が報じられていたのである。
同年11月、時政らは新将軍となった源実朝の妻(坊門信清の娘)を迎えるため上洛した。その際、同行した平賀朝雅(時政の娘婿)と畠山重保(重忠の子)が口論となった。
その後、時政は重忠・重保父子を勘当したが、翌元久2年(1205)1月に千葉成胤が両者の間を取り持ち、和解に至った。しかし、事はこれで収まらなかったのである。
■重忠の謀反
同年6月21日、朝雅は牧の方に「重保から悪口を言われた」と讒言した。ただちに牧の方は、時政にこの一件を報告し、「これは重忠・重保父子の謀反の意のあらわれである」と主張した。
時政は子の義時・時房兄弟に相談すると、2人は「重忠が謀反を起こすことはない」と述べ、討伐を差し控えるよう申し述べた。重忠が謀反を起こすとの確証がなかったのだ。
しかし、大岡時親(牧の方の兄)から「牧の方が継母ゆえに反対しているのではないか」と勘繰られ、結局、義時らは重忠・重保父子の討伐に同意せざるを得なくなった。
同年6月22日、畠山氏討伐の軍勢が由比ガ浜に出陣したが、何も知らない重保も鎌倉から由比ガ浜を目指した。そこで、重保は自らが討伐の対象となったことを知ったが、時はすでに遅く、ただちに討たれてしまった。
幕府の軍勢は、そのまま重忠の討伐に向かった。両軍が激突したのは二俣川(横浜市旭区)だった。重忠は寡兵を率いて、潔く幕府の大軍に立ち向かったが、ついに討ち取られ、無念の最期を迎えたのである。結局、重忠・重保父子には、謀反の意はなかったのは疑いない。
帰陣した義時は時政に対して、重忠・重保父子に謀反の意がなかったことを告げた。重忠・重保父子の軍勢は乏しく、とても謀反を起こそうとしたと思えなかったのだ。その直後、重忠をそそのかしたとして、稲毛重成父子、榛谷重朝父子が三浦義村に討たれた。
■まとめ
こうして畠山重忠の乱は鎮圧され、その所領は出陣した将兵に与えられた。重忠に謀反の意はなく、それは牧の方によるでっち上げだった。
この事件をきっかけにして、時政・牧の方夫妻と政子・義時姉弟の関係は、完全に決裂するのである。
Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20220913-00314457
■険悪になった畠山重忠と北条時政の関係
建仁3年(1203)の比企の乱で比企能員ら比企一族が滅亡すると、北条時政は武蔵国に食指を伸ばした。これに強く反発したのは、武蔵国に基盤を持つ畠山重忠だった。重忠の妻は時政の娘だったが、両者の溝は深まる一方だった。
元久元年(1204)1月になると、京都にも重忠と時政の関係の悪化が伝わっていた。2人は合戦となり、大江広元が殺害されたという誤報が報じられていたのである。
同年11月、時政らは新将軍となった源実朝の妻(坊門信清の娘)を迎えるため上洛した。その際、同行した平賀朝雅(時政の娘婿)と畠山重保(重忠の子)が口論となった。
その後、時政は重忠・重保父子を勘当したが、翌元久2年(1205)1月に千葉成胤が両者の間を取り持ち、和解に至った。しかし、事はこれで収まらなかったのである。
■重忠の謀反
同年6月21日、朝雅は牧の方に「重保から悪口を言われた」と讒言した。ただちに牧の方は、時政にこの一件を報告し、「これは重忠・重保父子の謀反の意のあらわれである」と主張した。
時政は子の義時・時房兄弟に相談すると、2人は「重忠が謀反を起こすことはない」と述べ、討伐を差し控えるよう申し述べた。重忠が謀反を起こすとの確証がなかったのだ。
しかし、大岡時親(牧の方の兄)から「牧の方が継母ゆえに反対しているのではないか」と勘繰られ、結局、義時らは重忠・重保父子の討伐に同意せざるを得なくなった。
同年6月22日、畠山氏討伐の軍勢が由比ガ浜に出陣したが、何も知らない重保も鎌倉から由比ガ浜を目指した。そこで、重保は自らが討伐の対象となったことを知ったが、時はすでに遅く、ただちに討たれてしまった。
幕府の軍勢は、そのまま重忠の討伐に向かった。両軍が激突したのは二俣川(横浜市旭区)だった。重忠は寡兵を率いて、潔く幕府の大軍に立ち向かったが、ついに討ち取られ、無念の最期を迎えたのである。結局、重忠・重保父子には、謀反の意はなかったのは疑いない。
帰陣した義時は時政に対して、重忠・重保父子に謀反の意がなかったことを告げた。重忠・重保父子の軍勢は乏しく、とても謀反を起こそうとしたと思えなかったのだ。その直後、重忠をそそのかしたとして、稲毛重成父子、榛谷重朝父子が三浦義村に討たれた。
■まとめ
こうして畠山重忠の乱は鎮圧され、その所領は出陣した将兵に与えられた。重忠に謀反の意はなく、それは牧の方によるでっち上げだった。
この事件をきっかけにして、時政・牧の方夫妻と政子・義時姉弟の関係は、完全に決裂するのである。
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(出典 @Gh8ver3)GH8
@Gh8ver3大泉・頼朝に抱いた苛立ちがかわいく思えるほどのエゲツない最近の鎌倉殿の13人
(出典 @soogoo1234)黄昏流星群
@soogoo1234【鎌倉殿の13人】大泉頼朝、放送前からイジられるww【ツイッターの考察ネタバレ評価大河ドラマ評判感想まとめ・大泉洋・源頼朝】6:28#鎌倉殿の13人 #大泉洋 #源頼朝 #小栗旬 #新垣結衣 #菅田将暉 #小池栄子… https://t.co/3h365UFz8x
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